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「富美夏さん」女子大生から芸妓の道
メディアに掲載された舞妓さん、芸妓さんをまとめました。 富美夏さん、紗月さん、富津愈(とみつゆ)さん、とし恵美さん。 中学校2年生で人生をシフトチェンジ。 一生懸命、日々研鑽に励んでいる舞妓さん芸妓さんを応援しましょう!
Updated Date : 2018-08-16 09:08:12
Author ✎ htakagi
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2016年4月14日「富美夏さん」女子大生から芸妓の道 内定辞退しても 朝日新聞デジタル
女子大生から芸妓の道 内定辞退しても
京都の花街(かがい)で大卒の芸妓(げいこ)がデビューした。 江戸時代初期に出雲阿国(いずものおくに)の歌舞伎公演が行われ栄えた宮川町。一度は決めた旅行会社への就職を辞退し、憧れの世界へ飛び込んだ。 京都・宮川町で1月にデビューした富美夏(ふみか、本名・大野愛夏〈あいか〉)さん(24)は神奈川県相模原市出身。お茶屋兼置屋の「よし冨美」に住み込みで働く。東山区の宮川町歌舞練場で17日まで開催中の京おどりで、初の舞台を踏んだ。 中学生の時、きらびやかな舞妓(まいこ)の姿をテレビで見て心がときめいた。修学旅行で京都を訪れた際には舞妓と並んで記念撮影。その時もらった千社札(せんじゃふだ)は今も宝物だ。花街で働きたいと夢見たが、両親を説得できず東京の私立大へ進んだ。 「舞妓さんのことを忘れてしまうくらい充実した学生生活にしよう」。大学では国際問題を学びながらダンスサークルに打ち込み、1年間休学して世界各地を巡った。アフリカ・ルワンダに1カ月滞在し、授業で知った大虐殺の背景を調べたこともある。 4年生になり旅行会社に内定したが、花街への思いを捨てきれない。一昨年夏、就業体験ができるよし冨美をネットで見つけ、1週間ほど化粧や着付けを学んだ。「やっぱりしたいのはこれだ」。昨年2月から正式に修業を始めた。 舞踊や三味線の稽古、お座敷の作法など覚えることはたくさんある。京言葉や正座での生活に慣れるのも一苦労だった。反対していた母も、娘の揺るがない思いに最後はほだされた。デビューの日には、誰より喜んでくれ、芸妓姿の娘と記念写真に納まった。 花街では中学卒業後1、2年ほど修業して芸事や京言葉を覚え、舞妓に。さらに芸を磨き、二十歳前後で芸妓になる。よし冨美が舞妓を経ない芸妓をデビューさせるのは初めてだ。 若女将(おかみ)の小坂佳未(よしみ)さんは、海外を自由に旅してきた富美夏さんがしきたりの多い花街になじめるか不安もあった。「芸歴の長い年下の舞妓さんからも、素直に言うことを聞けたはります。舞える曲を少しずつ増やして、立派な芸妓さんになってほしおす」 富美夏さんは夢を語る。「三味線や鼓も上手になって、海外のお客さんを英語でおもてなししとおす。将来は世界中のどんな方にも喜んでいただける、おもてなしのプロになりとおす」(佐藤剛志)
写真:「富美夏」さんのお店出しのとき
2016年1月18日「富美夏」さんのお店出し
先日「富美夏」さんのお店出しが無事に終わりまして、正式に宮川町の芸妓さんになりました。皆様おたの申します。
2017年8月14日「紗月さん」利尻島「留学」そして京都へ 毎日新聞
利尻島「留学」そして京都へ=祇園甲部芸妓・紗月さん
中学1年の1年間、大阪の自宅を出て、北海道の利尻島に離島留学していました。1クラス7人、全校生徒21人の小さな中学校。最初の1週間はホームシックで泣いていたけど、里親のおじさんとおばさんは優しいし、先生も生徒もみんな家族みたいで楽しくなってきて。  夏場は早朝から、地域ぐるみで昆布干しをするんですが、雨が降ってきたら、先生が「取り入れに行くぞ!」と叫んで授業は中断になる。3月に島を離れる時は、島中の人が港に集まってくれて、ボロボロ泣きました。反抗期だったけど、離れて暮らしているうちに、両親のありがたさにも気づくことができました。  会いたい、と母や妹と祇園を訪れたのは中学2年の時。お座敷に向かう芸舞妓さんに歓声を上げていたら、偶然通りかかった方が「そんなに好きなら、紹介したげよか?」と言ってくれたんです。  3年になって大阪から舞のお稽古(けいこ)に通い、進路希望にも「舞妓さん」と書きました。担任の先生はすごく心配して、私以上に花街やお稽古のことを調べて、お茶屋「つる居」のおかあさん(おかみさん)にも会いに行ってくれはりました。毎日提出する宿題のプリントにも細かく返事を書いて応援してくれて、先生の愛情には本当に感謝しています。卒業してすぐに祇園に来させてもらいましたが、今でも地元に帰ったらたくさんの友達が集まってくれるし、先生にも会いに行きます。かけがえのない関係です。
1994年大阪府藤井寺市生まれ。中学卒業後、京都・祇園のお茶屋「つる居」に住み込み、2011年に舞妓に。前年の芸舞妓の売り上げ優秀者の表彰で13年から5年連続一等賞。
2017年4月29日バイリンガル舞妓「富津愈(とみつゆ)さん」
富津愈(とみつゆ) 1997年、京都市生まれ。京都に5つある花街の一つ、祗園東の置屋「富菊」所属の舞妓。中学時代はニュージーランドに留学し、帰国後、約1年の仕込み(舞妓修業)を終えて、2013年夏に、見世出し(舞妓デビュー)を果たす。京都の花街では初となるバイリンガル舞妓として注目を浴びている。
京都の花街史上初!英語が話せる舞妓さん
富津愈さんがニュージーランドへ旅立ったのは弱冠、12歳のとき。それも誰に勧められたわけでもなく、自分の意思で留学を決意したのだというから、驚きです。 「小さいときから、日本を出たいなあ、って、思ってて。それに、ハリーポッターも好きやって、いつか魔法学校に行けると本気で思ってたんどす。そやけど、いつになっても魔法学校の入学通知が届かしまへんやろ。それなら留学しようと思いましてん。そやし、ほんまはイギリスに行きたかったんやけど、イギリスは最初から語学力がないと入れない学校ばかりで。うち、スポーツが苦手なんやけど、ニュージーランドの学校は好きな科目を選択できて、体育を取らんでもよかったんどす。それもニュージーランドを留学先に選ぶきっかけになりました」 「舞妓になるなら今しかない」と決断 ニュージーランドに渡り、英語を学び、学生生活を満喫していたが、次第に強まったのが舞妓になりたいという想いだったそう。 「何かしら日本の伝統に携わる仕事に就きたいと思ってたんどす。そんな中、小さいころから舞妓さんに対しては憧れがあったし、若いうちしかできひん仕事やし、だめもとで頑張ってみよかなと思いました」 ニュージーランドの学校は中高一貫でしたが、舞妓になるためには、15歳、16歳から置屋に住みこむのが一般的で、次の夢に向かって帰国を決意したそう。憧れを現実にするための“帰国”という決断が、京都の花街史上初となるバイリンガルの舞妓さん“富津愈” 誕生の第一歩となりました。
お稽古やお座敷がみっちり。舞妓は修業の身です
「日本にいて舞妓になりたいと思ったら、置屋に手紙や履歴書を送ったりできますやろ。でも、ニュージーランドには履歴書も売ってないし、ニュージーランドから手紙を送っても相手にされへんかと思って。そんな時、インターネットの記事で、今、私がお世話になってる富菊のおかあさんのことを知りましてん」。 10代から花街一筋の置屋の女将が多いなか、富菊の女将・富森れい子さんはアメリカで暮らした後、家業の置屋を継いだ帰国子女でした。その当時では珍しく置屋のホームページを設けていて、富津愈さんは早速メールで連絡を取り、一時帰国の際に面接を受けることになりました。 「すぐに帰ってこなあかんと思ってたんやけど、おかあさんが、向こうの中学を卒業してからでいいと言ってくらはったのは、ありがたかったです」。 毎日のタイムスケジュールは、8時に起床、10時から13時までお稽古、置屋に帰って食事、15時から仕度(化粧や着つけ)、18時からお座敷へ。24時に置屋に帰宅し、26時就寝、といった風。お昼に座敷が入っている場合は、さらに早起きして、朝から夜中まで20キロを超える衣装を身に着けたままということも。
お座敷での英会話は、花街らしくゆっくりと
富津愈さんは、リクエストがあれば外国のお客様に英語で会話をすることもあるそう。 「日本人って、外国人慣れしてへんし、ついつい身構えてしまいますやろ。外国の方にもいつもと同じように接することができるのは留学していた強みですね」。 ただし、英語の話すときには注意をはらっているという富津愈さん。 「外国のお客さんにとっては舞妓や祗園、京都について謎だらけですやろ。自分の言葉でちゃんとお答えできるのがうれしおす。普段、しゃべってる花街ことばはゆっくりですやろ。英語はただでさえ早口に聞こえがちやし、英語を話すときもゆっくり花街らしいしゃべり方を心がけています。それに、うちの英語はニュージーランドなまりがあるし、ティーンエージャーのしゃべり方やし、外国のお客さんのしゃべり方を聞いて、キレイな英語を勉強してます」。
バイリンガル舞妓として世界に京都を発信
京都以外で生活をしていたからこそ、京都の素晴らしさを強く感じると富津愈さんは言います。 「これからも京都のよさを世界の人に知ってもらう活動をしたいと思てます。また、芸舞妓への間違った認識も正していきたいし。例えば、外国人のお客さんの中には『昼間は学生してるの?』、『ほかに仕事を持っているんでしょ』と、聞く方がいはるんどす。日本人のお客さんでも、舞妓は写真を撮ったり、お酌をするだけの存在と思っている方が多いんです。そやけど、芸舞妓は日々、舞や唄、三味線のお稽古を積み、伝統技芸を受け継いでいますし、日本の方にも、外国の方にも、自分の言葉で芸妓文化を伝えていきたいどす。」
2015年04月05日「とし恵美さん」16歳の春 花街・宮川町 YOMIURI ONLINE
<上> スマホで憧れ 夢へ一歩
4人きょうだいの次女として、東京都大田区で育った。区立中学に通いながら、ダンススクールでヒップホップとジャズダンスに打ち込んでいた2年前の春、修学旅行先の京都を知ろうとながめていたスマートフォンの画面に、目が止まった。  「こんなきれいな人、みたことない」。芸舞妓がお座敷で踊り、石畳を歩く写真。全部スマホに保存した。  2か月後。「きれいな舞妓さんになりたいんです」。朋美とともに宮川町を訪ねた明咲は、駒屋の女将・駒井文恵(70)と面接し、思いを伝えた。  「最後にダンスの発表会だけ出させて」。明咲は朋美にそう頼み込んで、仕込みを始める直前の昨年4月20日、地元のホールで発表会のステージに上がった。30人の仲間たちのセンターで踊りきると、涙があふれた。  「もう、思い残すことはない」。2日後、明咲はJR品川駅の新幹線ホームで、ダンス仲間とクラスメートに見送られ、京都に旅立った。
<中>下積み寂しさ越え成長/
花街・宮川町で、舞妓まいこになる前の修業期間「仕込み」は約10か月。少女たちは、一つ屋根の下で女将おかみや先輩芸舞妓と寝食をともにし、花街の全てを体に染みこませる。  舞妓・とし恵美(16)(本名・長谷川明咲あさき)が住むお茶屋兼置屋「駒屋」の芸舞妓と仕込みは9人。仕込みは、先輩舞妓と共同部屋に寝泊まりする。 1人に割り当てられているスペースは、縦横1・8メートルほど。  部屋の掃除は仕込みの役目だ。掃除機をかけた後、鏡台を水拭き、乾拭きの順で仕上げる。部屋が住んだら、風呂掃除だ。  「おかあさん、いっといでやす」。女将が出かける時、仕込みは姿が見えなくなるまで玄関で見送る。帰ってくると「おかあさん、おかえりやす」と、膝と指をついて出迎える。先輩舞妓がお座敷に向かう前には、靴箱から舞妓の履く「おこぼ」を取り出して玄関に並べ、「ねえさん、いっといでやす」。同じ言葉、同じ動作の繰り返しだ。
<下>稽古重ね花咲く舞台
「ドーンツ、テンツン、テンツルロン、ひじを締めて、おへそは下向けるように」「体に音が入ってくるまでお稽古せな。姉さん方は、もっと踊ってはるえ」  3月上旬。宮川町歌舞練場の50畳敷きの稽古場に、日本舞踊若柳わかやぎ流の師匠・若柳由美次ゆみじ(66)の張りのある声が響いた。とし恵美(16)ら今年が初舞台の舞妓8人が、フィナーレで披露する「宮川音頭」の振りを、一つずつ確かめていた。 ◇  舞踊、鳴り物、長唄、茶道――舞妓が覚えなければならない伝統芸やたしなみは数多い。由美次は着物姿での所作にはじまり、おじぎの角度、扇の持ち方、首の曲げ方などを、一から教えていく。  ほとんどの少女は、日舞になじみのないまま、花街にやってくる。由美次は、踊りに興味を持ってもらうため、唄の意味を理解させることに心を砕く。
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